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証 し


祈り

植竹よね子牧師


「わが力なる主よ、わたしは あなたを 愛します」 (詩篇18:1)

 定められた時の集会には、遠慮なく姉妹遠のお家にうかがえます。たのしいお交わりをすることが出来ます。でも、私は迷うことがあります。お会いしなければならない、と思う時、いつが良いかしら?おじゃまではないかしら?都合の悪い時ではないかしら?心は揺れ動きます。

 数えられない程の年月、日数を過ごしているのに、今もなお、私は心揺れ動き、やっぱりやめた方が良いかも・・・と。お電話すれば良いのに、と言われるが、電話をすると相手の方の予定をかえさせる事になるかも、と思ってしまう。

 でも、神様はいつでもどこでも遠慮しなくて良いのです。大勢の集会の中でも、ご一緒にお祈りしましょうとすすめられて、一度に祈っても、一人で祈っても、いつ神様をお尋ねしても良いのです。お祈りするのに遅すぎる時間もないし、早すぎる時間もないのです。心揺れる私も、神様には何の心配もなく夜中でも、早朝でも、昼間の忙しい時でも、主よ!と声を上げて呼ぺるのです。神様は聞いてくださるのです。

 そして、神様に祈るのに、小さすぎる人、大きすぎる人などというものはありません。神様の眼には、重要人物も非重要人物もないのです。人間の思う大・小を問わず誰でも、いつでも神様に近づくことが出来る。神様の眼には大も小もないのです。

 神様に近づくのに、幼すぎるとか年を取りすぎているということはない。お前たちは黙っていなさい!と、つい親は小さい子供に言う。でも、イエス様は 幼児を私のところに来させなさい、とおっしゃった。

 年寄りになると、友人が一人召され一人召されとだんだん淋しく、孤独をかみしめなけれぱならなくなる。孤独は老人の大きな問題の一つです。神様に近づき、神様に語りかけることに、忘れ去られた老人だから・・・ということはない。

 小さすぎる子供でも、年をとった老人も 神様にとって何のへだてもない。いつでも、どこでも 主よ!と近づけるのです。

  幼い子供の怖れ
  青年の問題
  壮年の疲れ
  老年の孤独

 それらすべて主に訴える事の出来るものであり、神様が聞いてくださることがらなのです。

 だから、祈りは特別の時のためだけではない。日常生活の中にあるものです。神様は、私たち一人一人の語る事を、まるで聞く相手が一人しかいないかのように耳を傾けて聞いてくださる。神様はなんと素晴らしいお方、私の小さな祈りを、日曜学校でささげる小さな手を合わせている子供の祈りをも。

 ゲッセマネで私たちのために耐え抜いてくださった主のお祈りを、十字架上での私たちのために耐え抜いて、ささげつくして祈ってくださった主。其の様に大きく大きく開いて下さった祈りの道を、主イエスさま、ありがとうございます。主よ!私はあなたを愛します、と言わせてください!


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