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植竹牧師の「それでもまだ言い足りない」

献金について(その17)−愛は律法を完成する

  「儀文は人を殺し、霊は人を活かす」Uコリント3・7(文)

 長いこと献金について語ってきた。福音派の教会では「聖日厳守」と「十一献金」は厳しく教えられる。
 旧約時代には、律法のない異邦人にくらべ、神の律法を与えられたユダヤ人は、まことに特選の民・清潔な民だった。
 しかし、新約聖書においては、主イエス自ら、「律法を廃止するためにでなく完成するために来た!」と言われ、十字架でまさに律法の要求を完全に満たして下さったのである。
 パウロも「律法は終わった!」と幾度も叫んでいる。パウロ自身、自ら労し働き、決して献金の要求を信徒にしなかった。しかも、自己の権威を神格化したり絶対化したりせず、神と教会の僕としての自分を幾度も語っている。自分を罪人のかしらだとさえ言う。
 私も牧会者になって54年経つが、聖日厳守も十一献金も一度も言わなかった。律法とか戒律とか戒規もつくらなかった。牧師の権威も語らなかった(あるのは宗教法人の規則だが、この規則は財産管理が主)。規則でもつくったら最後、それを守らない者は違反者・犯罪者である。
 礼拝出席も献金も愛がその基本である。神の愛を知り、教会を愛する人が愛をもってささげていて下さる。必要があれば大胆にささげて下さる人がいる。それで良いのだ。 (つづく)