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広島キリスト教会  〒734-0042 広島市南区北大河町39-1 TEL : 082-285-6006  FAX : 082-285-4043

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植竹牧師の「それでもまだ言い足りない」

  復刻版
『受難週のキリスト』
植竹利侑著 
(教会新報社 1981刊
「福音入門シリーズ」)
本書は絶版につき本サイトで復刻したものです。



第七章 悲しみの道−ヴィア・ドロローサ

<ヨハネによる福音書19章16〜17節>
<ルカによる福音書23章26〜31節>
 
 <そこでピラトは、十字架につけさせるために、イエスを彼らに引き渡した。彼らはイエスを引き取った。イエスはみずから十字架を背負って、されこうべ(ヘブル語ではゴルゴタ)という場所に出て行かれた>(ヨハネ19・16〜17)
 ピラトの総督官邸における、ガバタという裁きの場から、いよいよイエスは兵士たちに引き渡されて、刑の執行のためにゴルゴタにむかって出発をいたします。
 昨日学びましたところは、あの気位の高い、民族意識の強い、自分の民族の優越性を信じてゆずらなかったユダヤの祭司たちが、イエスを憎むあまり、
 「私たちには、カイザル以外に王はありません」
 と叫びたて、
 「それでは、私はこの正しい人の血について、一切責任を取らないから、お前たちで勝手に始末するがよい」
 とピラトからいわれ、
 「その血と、その血の責任とは、我々と我々の子孫が負う」
 と答えた、−−−と、ここまでのところをお話させていただいたわけです。
 「私たちには、キリスト以外に王はありません」彼らはそう叫ぶべきでありましたが、
今や「カイザル以外に王はない」と誓って叫ぶ彼らの声は、ついにピラトを打ち負かし、イエスの十字架を勝ち取ることに、成功したのでございます。
 直接イエスの処刑に当ったのは、いうまでもなく、ローマの兵士たちでしたけれども、それを行なわせたのは、彼らユダヤの宗教家たちです。ヨハネは<イエスは自ら十字架を背負って、されこうべという場所に出て行かれた>と書き記しています。
 ちなみに”されこうべ”をヘブル語ではゴルゴダといいますが、カルバリというのは、ラテン語から転じた英語の表現です。
 刑の執行は、その日のうちに行なわれました。<すべて木にかけられる者は呪わるべし>と申命記の21章に記されておりますが、死刑囚が木にかけられている間は、地も呪われている、と彼らは考えました。従って、過越の祭りの前、この安息日までにはどうしても勝負をつけてしまわねばなりません。
 金曜日の朝、イエスは十字架につけられたのです。なぜ、十字架の木の上に高くつけるかといいますと、死刑囚の足が地面についていると、地まで呪われるという考えがあるからです。それで一刻も早くイエスを十字架にかける必要がありました。
 日本の法律では、死刑が宣告されてから、刑の執行まで、六ヶ月間猶予があります。その間に再審を請求したりすることがよくありますが、当時ローマの法律では、死刑の宣告があってから十日間、刑の執行が猶予されました。しかし、よほど極悪な犯人や、政府の転覆を企てたような政治犯に限っては、判決と同時に刑が執行されることをゆるされていたそうです。

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 イエスの場合は、ユダヤ人の王と名乗ったということで訴えられ、カイザルに反逆を試みる者という洛印を押されたわけですから、ユダヤ人たちは、その日のうちにイエスを処刑することを、ピラトに要求したものと思われます。だから一日の猶予もなしに、直ちに兵隊たちに引き渡されたのでした。実に、あらゆる意味において異常ずくめの裁判だったようです。
 こうして、イエスはゴルゴダの丘へと、追いたてられるように引き連れられてまいりました。
 文明社会では、死刑の執行というものは、決して人々の前ではいたしません。しかし、今日でも革命騒ぎであるとか、あるいは未開の国においては、今でも民衆の目の前で、吊し首にしたり、銃殺にしたりというような野蛮な行為が残っておりますが、まして今から二千年も前のことです。為政者たちは、見せしめのために、できるだけ残酷な処刑の様子を、できるだけ多くの人の目にさらすことが得策であると、考えていたようです。
 それでイエスは、推定約一マイル(約一・六キロ)の道を、自分の十字架を背負わされて歩くことになりました。他に二人の囚人も一緒であった、と記されています。
 ということは、所詮ピラトにとっては、イエスに対して興味や、不安や、怖れや、いろいろないきさつはありましたものの、いよいよ死刑の判決を下してしまえば、何日も前から牢獄に押し込められていた、ごく一般の死刑囚だちと全く同じ取り扱いをし、それ以上の何ものでもないのでした。
 「どうせこんな男は、自分をユダヤ人の王などといっている、ろくでなしにすぎない。ごく当り前の方法で、他の囚人たちと一緒に十字架にかけてやろう」
 ピラトはそう考えたのです。
 屈強な男を十字架にぶら下げるのですから、垂木のような紬い木であるはずがありません。荒削りのかなり骨太な木で頑丈に組まれていたと思いますので、それは決して軽いものではなかったのです。地下に一尺(約三〇・三センチ)埋め込んだ上、地上約一メートルぐらいの所に足がくる高さ、といわれていますから、かなりの重量であったと思うのです。それを、イエスは背負わされたのです。
 昨日も申し上げましたように、イエスの背中は、むち打たれてすっかり皮膚が破れ、肉がむき出しになったところへ、この十字架がゴツンゴツンと食い込むのです。そしてもう一つ彼を苦しめたのは、いばらの冠です。聖書には、イエスがご自分の衣に着替えられたということは記してありますが、いばらの冠を外したという記事はどこにもありません。ですから、かぶり続けておられたいばらの冠は、どんなにか、イエスを苦しめ続けたことでしょう。

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 こうして、兵隊たちは、馬に乗った百卒長のきびきびとした号令のもとに、百人あまりが、イエスと二人の囚人を取りかこんで、警護もきびしく出発をいたしました。それぼかりか、大祭司たちに狩り集められて「十字架につけよ、十字架につけよ」と叫んだ、あの悪質な群集たちも皆警護にまわり、恐らく手に手に棍棒など握って、相当な人数となり、もしもイエスを奪回しようと弟子たちが襲ってくるとか、同情者たちが暴動を起こすとかしても大丈夫なように、厳重に、厳重に、人垣をつくって歩いて行ったのでした。イエスは約一・六キロの道のりを、悪意と嘲りの渦の中で、十字架を背負って歩かせられたのです。
 イエスの歩かれたその道が、今でも”ヴィア・ドロローサ”悲しみの道として、残されているそうです。
 古い昔のユダヤの都、エルサレムの道は、決して大路ではありません。たとえ、大きな広い道があったとしても、それはほんのわずかで、ゴツゴツした細い石畳の道が、登ったり降ったりしながら、曲りくねって続くのです。その石畳の道を、ズルッ、ズルッと渾身の力をふりしぼって、イエスはひと足、ひと足歩いて行かれたのです。イエスの疲労は、その極に達していました。
 前回でお話しました、カトリックの”十字架の道行き”という習慣によりますと、九つないしは十二の”留(りゅう)”といって、九場面あるいは十二場面が描かれているそうですが、その中には、三遍もイエスが力尽きて倒れられた場所が、指定してあるそうです。聖書の中には、イエスが三遍倒れられたということは、書かれておりませんけれども、昨夜のゲッセマネの園からはじまって、イエスは恐らく一滴の水も飲まず、ひときれのパンも食べず、あの苛酷な祈りと苦闘と、それに続く捕縛、裁判、むち打ちと、そしてさまざまの侮辱とに、今や息もたえだえになりながら、重い十字架を背にひきずり歩まれ、幾度もよろめき倒れられたのでございます。
 私どもは、イエスの十字架の重さをほんとうに知りません。しかし、むち打たれて肉もあらわのイエスの肩にとって、それはどれはどの痛みと重さであったでしょうか。
 あのエルサレム入城のときには、イエスにむかって駆け寄る、多くの民衆の歓声に迎えられましたが、再び、エルサレムの城門を出る今は、誰一人イエスの味方となる者はなく、ただ一人で重いご自分の十字架を肩に、黙々とゴルゴタの丘を指して歩まれたのでございます。聖書には、たったひとこと<イエスはみずから十字架を背負って、されこうべという場所に出て行かれた>と記されています。
 イエスの傷ついた肩にくい込む、この荒削りの十字架、それは想像もつかない重さとなって、イエスの全身にのしかかっておりました。それは、いうまでもなく、私たちの”罪”です。

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 イエスは、ずっと以前から、ご自分が十字架につけられるということを、予告していらっしゃいました。イエスのメッセージの中にも「私についてきたいと思う者は、自分の十字架を負って、私に従ってきなさい」といっておられますから、充分に今日の日を予知されておられたはずです。
 今、その預言のとおりに、イエスは人間の世界における最大の苦痛と屈辱を味わわせられながら、十字架の重みに耐え、ひと足、ひと足に最後の力をぶりしぼって歩んで行かれるのです。
 イエスは今まで一度も、人の憐れみを乞うたり、情けにすがったりする必要のないお方でした。正しい純粋な意味において、聖いプライドを持っておられたお方です。たえず、神の子としての自覚がありました。
 いつでも人を祝福し、人を愛する立場においでになったイエスが、今ここではまるでぼろ屑のように、憐れみを受けなければ生きて行けない状態になったのです。彼が転ぶと、ローマの兵隊たちの呵責のないむちがとんでまいります。それでまた最後の力をぶりしぼって、よろよろと立ち上がって行くのです。
 詩篇の22篇は、イエスの十字架の預言であるといわれています。その中で、イエスはついになんといったでしょうか。「私は虫であって、人ではない」といっているのです。虫ならば、踏みつけられても文句はいえない、翅をむしられても、脚をもがれても、抗議の方法がありません。虫ならば私たちは遠慮なく踏みつぶすのです。ほんとうにイエスは私たちのために、「私は虫であって、人ではない」とおっしゃっておられるのです。
 あの有名な十字架の人、ゾイゼという神父は、修道院で人々に嘲られたり、いじめられたりして、ほんとうに心が寂しかった。あるとき、僧院の窓から、冷たい木枯らしの吹く外を眺めていると、一匹の荒々しい犬がやってきて”靴拭い”を、人に踏まれてすり切れてちぎれてしまったボロボロの靴拭いを、脚でびりっとかき裂いて、それを口にくわえて振りまわし、ぱ−っと飛ばしてはまた追いかけ、噛みついてはひき裂き、じゃれておりました。そのときです。ゾイゼの耳は
 「私は、その靴拭いです」
 という、イエスの声を聞いたのです。ゾイゼは人にののしられて寂しかった、それは、彼がその僧院に住んでいる神父でありながら、どうしてもカトリック教会の教えを理解し、信じることができなかったのです。それで彼は、とうとう十字架の話を説教したために、皆から迫害されていたのです。
 彼は出て行って、その靴拭いを拾ってきました。それを箱の中に大事にしまっておいて、嘲られ、ののしられたとき、箱を開けてその靴拭いを見るのです。人に捨てられ、踏まれ、破れ、犬にまで噛み裂かれたこの靴拭いが、彼に勇気を与えるのです。「私は、その靴拭いです」というイエスの声が耳によみがえってきて、彼はいろいろな屈辱に耐えることができたというのです。このゾイゼは、宗教改革以前の宗教改革者だといわれている人です。

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 「私は虫であって、人ではない」これが、あの極度の嘲りの中にあって耐え忍ばれたイエスの告白です。
 曲りくねった、坂の多い石畳の道をイエスは歩き続けます。当時の法律によりますと、死刑の執行は、都の中で行ってはならないということになっておりましたので、レビ記の16章に書いてある、アザゼルの山羊のように、すべての呪いを背負わされて、郊外へと押しやられて行くのでした。
 イエスは、歩いては転び、歩いては転びして行きましたが、しまいには、立ち上ることができなくなってしまいました。これでは死刑を執行する時間がどんどん遅れるので、はじめのうちこそ兵士のむちがとびましたが、百卒長は「何かよい方法はないか」、と思案しました。この百卒長は、後に十字架上のイエスを見て、神をあがめ「ほんとうに、この人は正しい人であった」と告白した人です。
 丁度そのとき、むこうから逆に都に入ってくる一人の男がいました。それは非常に背の高い、がっちりとした立派な男性でした。彼はクレネ人でシモンという名前でした。
 <彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた>(ルカ23・26)
 クレネというのは、エジプトのアレキサンドリア地方です。そこに住んでいたユダヤ人の男で、長年の願いがようやくかなって、エルサレムの過越の祭りへと、はるばるやってきたのです。
 百卒長は、このシモンを見つけるなり有無をいわせず、
 「おまえ、この十字架を背負って、彼のあとについて歩け」
 と命令しました。そのころのローマの軍隊は、どこででも、その地方の人々を平気で徴用いたしました。イエスのお言葉にも「一マイルの行役を強いられたら二マイル行きなさい」とございますが、これは、いつ災難がふりかかってくるかわからない、いつ命令が下るかわからない、刀の峰で肩をたたかれたら、絶対いうことをきくほかはないという時代の背景があって、語られております。
 シモンこそいい迷惑で、降って湧いたような突然の災難に、
 「えっ、私がこの十字架を負うのですか」
 まことに情けない表情を浮かべました。それは当然です。ユダヤ人であるならば、十字架に触れるというだけでも、一週間はユダヤ人の交わりの中に入ることができないのです。

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 「折角ここまで長い旅をしてきたというのに、なんという思いがけない災難に遭ったのだろう」
 彼は、倒れている囚人を恨めしげに見つめました。
 そこには、なんと、いばらの冠をかぶせられて、全身傷だらけの男が、精も根も尽き果てて、まるで死人のように倒れ伏しているのです。もともと気の優しいシモンは、仕方なしにイエスの肩から十字架をかつぎ上げました。イエスは視力も衰え、口もきけない状態でしたが、そのとき目を開かれ、み顔を上げて、クレネ人シモンの親切に、ほんとうに心からの感謝の意を表されたのです。それは、言葉にいい表わすこともできない不思議な感動をシモンに与えました。シモンの心には、いい知れない同情と納得する思いが湧いてきました。
 長い長い旅をして、やっと過越の祭りへとやってきたのに、それが一度にパーになってしまっても、彼はなぜか悔いのない気持になりはじめていました。
 彼は、イエスの十字架を、そのたくましい腕で持ち上げました。ついでにイエスに手を差しのべ、抱きかかえるようにして立ち上らせたのでした。こうして、ゴルゴダを目指す一行は再び歩みはじめ、クレネ人シモンは、イエスの後に従ったのです。
 しかし、死刑囚にかわってその汚らわしい十字架を背負って歩いていると、通りすがりの人は、袖をひきあって彼を見つめます。クレネ人シモンは、屈辱感で次第に顔が赤らんでまいりました。まるで自分が囚人になったような錯覚が起こります。もう仕方がない、彼は観念して、他の人を見たら恥ずかしいですから、何も見ず、ただ自分の前をよろめき歩くイエスの姿だけをじっと見つめて、勇気を出して歩いて行ったのです。
 マルコによる福音書を見ると、
 <そこへ、アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた>(マルコ15・21)
 と書いてあります。
 マルコは、福音書をローマの教会のために書いたといわれています。そのマルコが、アレキサンデルとルポスの父、とわざわざ書き記したということは、当時すでに、ローマの教会にはアレキサンデルとルポスがいたということです。その父親であるシモンが、十字架を強制的に背負わされるという、思いもがけない出来事に遭遇し、そのときに、万感をこめて感謝を表わしたイエスのみ顔を、彼はのちのちまで、絶対に忘れることができませんでした。やがてペンテコステがあって、エルサレムに使徒たちの伝道が開始されるや、彼は、恐らく第一番に、その集団にとび込んで行ったことでしょう。彼こそ、十字架の意味を誰よりも、誰よりも、身をもって理解することのできた男ですから。

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 バラバがそうでしたが、ここでもまた、イエスの十字架が生み出した素晴らしいエピソードが繰り広げられたわけです。
 皆さん、十字架を負うということは、ほんとうに、私たちに与えられた大きな特権です。それは、自分が悪いことをして、その結果ひどい目にあっていることをいうのではありません。自分とはなんの関係もない、全く人の罪のために重荷を負うことが、十字架を負うということなのです。それはまた、私たちがイエスのみ名のゆえに受ける苦しみ、愛ゆえに背負うべき重荷のことでありますから、自分の不始末の結果を負うのは、十字架ではありません。それは”罰”です。
 しかし、クレネ人シモンは、実に感謝なことに、イエスの十字架を強制的に背負わされました。十字架というものは、ある意味において、強制的に背負わされてはじめて十字架なのです。自分が選んだものは重くないのですが、強制的に負わされたものは、重いものなのです−−−人間の歴史はじまって以来今日にいたるまで、神の子をお助けするという、こんな素晴らしい特権を神から与えられたのは、古今東西、シモンただ一人です。
 なんという羨ましいことでしょうか。シモンがもし、ここを通るのが一時間早くても、一時間遅くても、この光栄にあずかることはできなかったのです。これは、クレネ人シモンが世界中のクリスチャンから羨ましがられる、ほんとうに素晴らしい物語です。
 このシモンの例でもわかるように、私たちは、人生の終局から振り返ってみて、はじめて全部がわかるのです。たとえば、ほんの一つのことを申し上げますと、今日は受難日ですけれども、朝の九時から午後三時まで、十字架にかかられたイエス・キリストのことを、皆さんは、どれだけ思われたでしょうか。どれだけ敬虔な気持が持てたでしょうか。どれだけ感謝ができたでしょうか。どれだけその痛みをしのぶことができたでしょうか。
 もし、今が世の終りであったとするならば、振り返ってどんなに後悔しても、過ぎ去った時間は取り戻せません。地団太踏んでみたところで、もう間にあわないのです。何もしなかったら、何もしなかったのです。遊んで過ごせば、遊んで過ごしたのです。いい加減に過ごせば、いい加減に過ごしたのです。それをどうすることもできません。いかなる王侯貴族も、過ぎ去った時間を取り戻すことだけはできないのです。
 愛する皆さん、ほんとうに、人間の生涯というものは、最後になってみないとわからないのです。私は、自分の過去において、価値があったなあ、と思えるものは、嬉しいことや、楽しいことではありません。それは、そのとき限りのことで、私の魂には何も残さないのです。過ぎ去ってしまえば同じことです。しかし、苦しんだこと、悲しんだこと、それを耐え忍んだこと、そして、それによって教えられたことだけは、心に残っております。それが積み重なって、その人の品性になり、その人の人格になり、その人の生涯になって行くのです。

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 どんなに楽しんでも、楽しんだことは、かえってその人を軽薄にするだけです。おおよそ、自分の肉を喜ばせ楽しませることは、その人の生涯になんの価値もありません。幾多の困難に打ち勝ったことだけが、生きたあかしとなるのです。
 私たちは、イエス・キリストのために使った時間や、あるいは献げたもののことで、「ああ、なんてその十倍も、しなかったのだろうか。なんでもっと、もっと、本気で仕えなかったのだろうか」
 と悔やまれるときが、必ずくると思うのです。
 なぜ、自分のためだけに時間を、お金を、精力を使ったのだろうか、なぜ、自分を楽しませることを最優先にしてきたのだろうか、と。楽しんだだけ、それだけ体をこわし、それだけ卑しい根性となり、それだけエゴイスティックな、目己中心的な性格をつくっただけの話です。
 自分を否定し、十字架を負って歩んだ時間がどれだけあっただろうか。愛をもって、人にどれだけ施しをしただろうか。優しい言葉を、どれだけ人にかけてきただろうか。あれも、これも、過ぎてしまってからでは、もう遅いのです。
 今日、あなたは、自分の人生でどれだけ価値あるものを神の前に積んできたか、ぜひ、考えていただきたいのです。そして、これから自分の人生に残されている時間を、本気で生きて行こうではありませんか。
 さて、クレネ人シモンは、なんという幸いでしょうか。彼は、あとがら振り返ってみて、とんでもない災いだと思ったことが、驚くべき栄光に変えられているのを知りました。
 皆さん、私は今、イエスの十字架を負うことはできませんが、愛のゆえに、人の十字架をすすんで負いたいと思います。<互いに重荷を負い合いなさい>と聖書は私たちに勧めています。喜んで人の十字架を負いたいものです。ただ負うだけです。かかって死ぬわけではありません。それは、イエス・キリストしかできないことです。私たちは、背負って上げるだけです。これこそほんとうに素晴らしいことです。
 愛する皆さん、今日までのこの一週間、私たちはイエスの受難のみ姿を学んでまいりました。ほんとうに残酷で、悲惨で、昨日のむち打ちの場面にしても、私はお話するのがまことに悲しく、いやな思いでした。人間の悪の権化といいましょうか、サタンの総力と、イエスの対決をつぶさに学んだわけですが、一体、人間の心はどこへ行ったのか、理性はどこへ行ったのか、人間の信条は、愛は、良心はどうしたのか、と叫びたい気持です。
 けれども私たちは、ここへきてはじめて、十字架の道行きのヴィア・ドロローサにおいて、少しだけ、何か索晴らしい、安堵の思いをするような場面に出会ったのです。一つはクレネ人シモンのことでした。

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 そして、もう一つのお話があります。
 ルカによる福音書23章のそのところを見て下さい。
 <大ぜいの民衆と、悲しみ嘆いてやまない女たちの群れとが、イエスに従って行った。イエスは女たちの方に振りむいて言われた、「エルサレムの娘たちよ、わたしのためになくな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。『不妊の女と子を産まなかった胎と、ふくませなかった乳房とは、さいわいだ』と言う日が、いまに来る。そのとき、人々は山にむかって、われわれの上に倒れかかれと言い、また丘にむかって、われわれにおおいかぶされと言い出すであろう。もし、生木でさえもそうされるなら、枯木はどうされることであろう」>(ルカ23・27〜31)
 誰一人として、イエスのために嘆き悲しむ者のいないことに、私たちは心を痛めておりましたが、ここにいたのです。「エルサレムの娘たち」と書いてありますから、エルサレムの多くの婦人たちが、イエスが十字架を背負わされて引かれて行くその姿を見て、あちらの角でも、こちらの角でも、悲しみにくれていたのです。
 エルサレムの町の人々は、午前九時といえばまだ朝のうちですから、やっとそのころになって、ことの重大さに気がついたのです。
 あれほど多くの人々に慕われていたイエスが、死の判決を下されて、今ゴルゴタの丘へと引きたてられて行くところだ、と、噂はぱーっと拡がりました。しかし、今となってはどうすることもできません。
 第一、エルサレムの町というのは、非常に狭い道ですから、そこをがっちりと警護を固めて歩かれては、全然勝負になりません。
 民衆たちは、あっちでも、こっちでも、騒ぎはじめましたけれど、もともとエルサレムの往民たちにとっては、エルサレムの神殿と、それで生活の糧を得させてもらっているユダヤの宗教には、かりに多少の不平不満はあったにしても、絶対に従っているのです。
 彼らは、イエスが宮潔めをしたり、宗教家だちと論争して打ち負かしたりするのを見ておりましたから、イエスがどんなに素晴らしいお方であるかということは充分わかっていても、今、イエスを救うために、暴動を起こすことなど決してできる関係ではなかったのです。
 また、イエスのエルサレム入城を本当に歓迎したのは、ガリラヤからきたり、途中のベレヤのあたりからイエスについてきた群衆たちがほとんどでした。しかもそういう人たちの一部は、過越の祭りの前に、いけにえをささげてどんどん帰って行きました。期待していたイエスが、いつまでたってもメシヤらしい働きをしないので、失望落胆して帰って行った者も多くありました。また、昼間はエルサレムの神殿にきていて、夜になると郊外の親戚へ泊りに行ったり、安い旅館へ行っていたりする者が多く、この宗教家たちによる奇襲作戦は見事に成功したといえます。かりに、イエスを奪い返そうと思う者がいたとしても、この警護のものものしさ、警備体制の強固さの前には、手も足も出ません。

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 ですから、イエスを愛する人々は、ただおろおろと泣き悲しむばかりでした。全く手出しのできないもどかしさに右往左往し、二人三人と相寄っては嘆きあうのでした。
 福音書を読んでいると、私は本当に不思議でならないのです。その中で女性がイエスの敵にまわったというのは一人もいないのです。私は、家内を見ていてもわかるのですが、女性の直観力というのは実に素晴らしいものですね。直観的に良いか悪いかを嗅ぎわけます。私たち男性は、ああだとかこうだとか、いろいろ理屈をつけ、研究をして、やっぱりそうだと決まるまでに大分時間がかかるのですが。
 聖書に出てくる女性たちは特に、イエスが本当の救い主であるということを、あらゆる出来事の如何にかかわらず、敏感に見抜いていたのです。
 イエスを見捨てたり、裏切ったり、迫害したり、十字架につけたりしたのは、残念ながら全部男性でした。女性たちは、自分の財をささげ、まことの愛をもって仕えたようです。
 イエスが着ておられた上衣は、上から下まで縫目のない高価なものであったといわれますが、これはたぶん、ベタニヤのマリヤが作ったのではないかと思います。彼女は高価なナルドの香油をイエスの足に注ぎ、自分の髪の毛をもってそれを拭い、献身と感謝を表明した女性です。
 私は、ベタニヤのマリヤなどは、何もいわなくとも、イエスの死の近づいたことを感じていたのではないか、と思うのです。だからイエスは、彼女の行為を、ご自分の死に対する聖別として高く評価したのです。愛というものは、直感的に真実を見抜く力をもっているものなのですね。
 また、それらのことは、当時の女性の地位の低さなども、いくらか、かかわっていたと思います。イエスは、人間をもっとも人間らしく取り扱って下さったお方です。
 弟子であったパウロは、キリストにあっては男もなければ女もない、といっています。男と女の違いというのは、人格や人間性などの価値の違いではなくて、単に役割りの違いだけです。
 イエスは、女性の中に眠っている、虐げられて出すことのできないでいた、珠玉のように美しいものを発掘していらっしゃいます。私が一番感動しますのは、あの罪ある女を愛されたということです。イエスのまわりには、罪を犯した女性たちや、精神病だった女性たちや、あるいは遊女であった女性たちが、ほんとうに清くされ、真心をもって仕える姿を見ることができます。

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 かくてイエスは、ヴィア・ドロローサを歩まれながら、二度、その苦しみを和らげられたのでした。一つは”男の手”でした。強い意志と力と決断力と勇気を持った男の手が必要です。私たちはクリスチャンとして、男は自分で計画し、独創的な決断力と知性とを持って、あらゆる反対や困難に打ち勝ち、意志を貫き通す強さを必要とされます。しかし、同時にもう一つは、この悲しみにくれる女性たちのように、優しい、行き届いた思いやりや、心を温めてくれる同情の涙もほんとうに必要です。
 ところで、いつの時代にも、死刑囚は死ぬ前に辞世の言葉を述べる特権があります。不思議ですね、どこの国でもそうなのです。キリシタンの迫害のときでさえも、殺されて行くクリスチャンたちは、その前に一場の演説をゆるされています。その記録が日本にも残っています。だからイエスは当然何かおっしゃっても然るべきですね。殊更にはいわれませんでしたが、イエスのほんとうの辞世の言葉はなんでしょうか。
 <父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです>(ルカ23・34)
 これです。
 しかし、その前に、悲しみ嘆いてやまない女たちに、イエスはおっしゃっています。「エルサレムの娘たちよ、私のために泣かなくてもよい。むしろ、あなた方自身と、あなた方の子供たちのために泣きなさい」
 これは何を意味していると思いますか。最後に「生木でさえもそうされるなら、枯木はどうされることであろう」という言葉がありますから、これは、もうすぐ起ころうとしているエルサレムの町の審判、陥落、滅亡に対しての警告であります。
 事実、イエスが死んでからわずかにして、このエルサレムの町はローマの軍隊によって滅ぼされます。紀元七十二年のことです。
 ヨセファスというユダヤ人の歴史家が残した記述によると、ローマの兵隊は、あの峨峨たる強固な要寒であったエルサレムの町を、どうしても攻め落とすことができなかったので、包囲作戦をとったといわれます。そして、アリの這い出るすき間もないほど、エルサレムをかこんでしまいました。何力月かたち、だんだんと食料がなくなり、ついにはエルサレムの城内は飢餓の地獄に陥ってしまったのです。あるところで久しぶりに肉を焼くにおいがしたので、飢えている人々が目の色変えて飛びこんでみると、死んだばかりの自分の子供を焼いて食べている母親がいた、と記録されています。こういう飢餓地獄に陥ればこそ、
 「子を生まない女と、含ませなかった乳房は幸せだというときがくる。だからあなた方は、私のために泣くよりも、このエルサレムの、神に対する恐るべき反逆のゆえに泣きなさい。本気でその苦しみに遭わないように考えなさい」
 イエスは、今のご自分の苦しみのことではなく、この愛すべき女たちの将来のために同情し、警告されたのでした。

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 いつの世の中でもそうですね。罪を犯すのは男が多く、被害者はいつも女と子供です。ほんとうにそうです。戦争を起こすのはいつも男たちです。やがてきたるべきエルサレムの女と子供の悲惨さを思い、イエスは心を痛めておられたのです。
 皆さん、ほんとうに同情されるべきは、イエスではなかったのです。イエスはあのときも、そして今も、私たちを憐れみ、罪深い私たちのために涙を流して下さっていらっしゃるのです。今、私たちは自分の罪のためだけに嘆き悲しむべきです。私の罪がイエス・キリストを十字架につけたのだと、もっと本気で知るべきです。
 「ああ、おいたわしいイエスさま」といって、イエスの十字架の姿を見て嘆くのではないのです。誰がそうさせたか、そうさせたのは私ではないか、と自分の罪のために嘆かなければならないのです。それが十字架の意味です。
 私たちは、イエスの十字架についてずっと学んでまいりましたが、もう、これで終らなければなりません。私は一週間語り続けてまいりましたが、まだ、ゴルゴタの丘の上のイエス・キリストについて、お話をすることができませんでした。また来年の受難週に、十字架上のイエス・キリストについて、ごー緒に学ぶときを持ちたいと思います。
 お話をしてみて、学んでみて、どんなに語っても、それはただ私が理解した一断面にしかすぎないと思いますが、しかし、どうかこの受難週が終るに当り
 「イエス・キリストの十字架は私の罪のためであった」
 ということを心に刻みつけていただきたいと思います。
 有名なこのヴィア・ドロローサには、べロ二力という女性が、倒れているイエスを抱き起こし、血と汗と泥のこびりついたそのみ顔を、ハンカチでそっと拭ってさし上げたところ、あとからそのハンカチに、イエスのみ顔がはっきり写っていたという伝説があります。聖骸布とかいわれ”歴史としての聖書”の中にも出てきますが、それが正しいか、正しくないか私にはわかりません。
 しかし、私たちの信じているイエス・キリストの十字架は、決して絵に書いたような美しいものではないのです。それは、私たちの罪は決して美しくないからです。この醜いどろどろした罪を賄うための十字架は、血と泥と挨と唾とで塗り固められた醜く凄惨なものであったことを、私たちは知るべきです。
 愛する皆さん。その十字架を見上げ、私たちもそこに死んで、新たに生きる者となりましょう。

第七章(了)
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