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広島キリスト教会  〒734-0042 広島市南区北大河町39-1 TEL : 082-285-6006  FAX : 082-285-4043

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 目次・第一章  第二章  第三章  第四章  第五章  第六章  第七章

植竹牧師の「それでもまだ言い足りない」

  復刻版
『受難週のキリスト』

植竹利侑著 
(教会新報社 1981刊
「福音入門シリーズ」)
本書は絶版につき本サイトで復刻したものです。


目 次

まえがき
第一章 十字架への道 (ヨハネ12・12〜33)
第二章 最後の晩餐 (ヨハネ13・1〜35)
第三章 ゲッセマネの祈り (マタイ26・34〜46、マルコ14・32〜36、ルカ22・41〜44)
第四章 イエスの捕縛とペテロの否認 (ヨハネ18・1〜27、ルカ22・54、60〜62)
第五章 嘲笑の中のイエス (マタイ26・57〜68)
第六章 ピラトの庭で (マタイ27・19〜26、ヨハネ19・1〜16)
第七章 悲しみの道 (ヨハネ19・16〜17、ルカ23・26〜31)


まえがき

 「自分はニセモノだ。偽善者だ」という思いにとりつかれた私は、73、74年頃から、牧師であることから逃げだすことばかり考えていました。一度は辞表を提出したのに受け入れられなかったので、77年の秋、とうとう長年牧会をしていた教会を逃げだして、一からやり直すことにしたのです。
 私はニセ牧師だから、伝道牧会はお休みして、しばらくは自分のために生きてみよう、と思い、妻と二人で朝早く起き、市場へ働きにゆきました。いままであんまりいいかっこばかりしてきたから、こんどはとことん恥をかこう、十年間はひっそり生きてみよう、というのが、いつわりのない気持でした。
 なのに、ニセモノの私を主は見捨てられず、家族だけで守るつもりの礼拝が、みるみるふくれあがってゆきました。そればかりか、やっぱり私は伝道者として召されているのだ! という確信を抱かずにはおれないような出来事が次々とおこりました。
 一度、牧師としての生命を捨て、辱しめをうける決意をした私に、主は御自身の辱しめをみせて下さいました。それがこの受難週のメッセージです。79年の4月、感動をもって七回連続で語りました。翌80年は「十字架上の七つの言葉」を学びました。それも私の魂の資産としてのこっています。
 ここで、私のテープから原稿浄書をして下さいました伊達浩子姉に心より感謝申し上げます。
 つたない者の受難週のメッセージをお読み頂いて光栄に存じます。
 1981年受難週 植竹 利侑

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第一章 十字架への道

<ヨハネによる福音書12章12〜33節>


 教会暦(チャーチ・ヒストリー)と申しまして、教会が守っている暦によりますと、今日から受難週に入ることになります。
 受難週といいますのは、イエス。キリストが十字架につけられ、み苦しみをお受けになった週のことでございます。
 その最初の日曜日である今日を″しゅろの聖日(パーム・サンデー)″と一般に呼んでおりますが、これは、イエスがエルサレムにご入城になられたとき、民衆たちが、手に手にしゅろの葉を打ち振り、歓呼の声を上げて、イエスをお迎えした、という故事にならうものであります。
 ユダヤの人々にとって、いくつかの大事な祭りがありましたが、とりわけ大事な祭りが三つありました。それは、過越の祭りと、五旬節の祭りと、仮庵の祭りの三つで、その中でも最も大事な祭りは、過越の祭りでございました。この過越の祭りについては、旧約聖書の中に、次のように書かれてあります。
 かつて、イスラエル民族の祖先たちが、四百三十年もの間、エジプトの地に奴隷となっていましたが、モーセという人が神から遣わされて、そのエジプトからイスラエル民族を脱出させたのです。その脱出に当って彼らは、非常な奇跡を目のあたりに見せられました。さまざまな奇跡が起きたのですが、その中でも、神がエジプト人を懲らしめ、イスラエル人を救い出すために、全エジプト中の長男という長男をことごとく打ち殺された、という大変に恐ろしい出来事が記されてあるのです。
 これには、さすがのエジプト王パロも、心底参ってしまって、とうとう、イスラエル人のエジプト脱出を許可してしまいました。
 このときイスラエルの人々は、神に命じられたとおり、羊を殺し、その血を門の二本の柱とかもいに塗ったところ、その家だけは、神の怒りが過ぎ越して行った、という驚くべき事件を体験したのです。
 そして主は、イスラエルの人々が、エジプトから救い出されるときの最後の出来事どしてこれを記念し、同時に主のための祭りとしてこの日を守ることを、永遠の掟として彼らに命じられたのでした。
 そのことのゆえにイスラエルの人々は、過越の祭りを三大祝祭日の祭りとして、守っているのです。

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 いわば、これはイスラエル民族の、民族としての最も大きな出来事を記念して祝う、お祝いなのです。従って、イスラエルの人々、特にパレスチナに住む成人男子は、過越の祭りのときには、ほとんど強制的に、この祭りに出なければならなかったのです。
 また、当時ユダャ人は全世界に散らばっていましたが、彼らのその生涯の最高の喜びは、いつの日か自分もパレスチナに行き、エルサレムの都で過越の祭りを守りたい、ということが一番大きな願いだったのです。今日でも、世界中に散在しているユダャ人たちは、それぞれの国で過越の祭りを祝うとき、「来年こそはなんとかエルサレムで」というのが、互いの挨拶になっているそうです。
 十数年前のことですが、テルアビブの空港で日本の連合赤軍が、エルサレム巡礼にきたユダヤ人たちに、銃を乱射して殺したという事件がありました。そのときに撃たれたユダヤ人たちは、息を引き取るまぎわ、
 「それでも我々は、長い間夢に見てきたイスラエルの地で死ぬことができるから幸せだ」といったということです。それほど、イスラエルの人々にとって、エルサレムに帰るということは、大きな夢だったのです。
 当時の記録によりますと、何人の人がエルサレムに集まってきたか、ほぼ察することができます。記録には、そのとき神に捧げられた犠牲の小羊の数が、なんと二十六万五千頭であった、と書いてあります。一人が一頭の羊を捧げるわけではないのです。十人くらいがまとまるか、或いは一家族で一頭の羊を殺すという習慣であることが、出エジプト記の中に書かれてありますから、そうすると、二百六十万人の人がエルサレムに参詣にきていたということになります。
 実に膨大な数の人々が、エルサレムに集まっていたのでございます。まあ、その数に多少誇張があるにいたしましても、数えることもできない大群衆が、この過越の祭りの期間中、エルサレム及びその郊外へと続々やってきて、礼拝を守ったのです。この時期はエルサレムは気候がよく、ほとんどの人々が野宿に慣れていますので、彼らは野宿をしてでも、エルサレムの神殿へと出かけて行くのです。

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 さて、過越の祭りとはそのようなものでありますが、イエスが十字架につかれるときの過越の祭りは、今までの祭りの十倍も百倍も熱気が満ちあふれておりました。なぜかといいますと、神の子イエス。キリストが、この三年間、全イスラエル地方を伝道して歩かれた結果、
 「もしや、このお方がメシヤではなかろうか」
 という期待が、人々の心の中にだんだん高まってきて、今やそのボルテージは最高に達し、触れれば火を発するほどに過熱していたからです。そのイエスが、み顔を堅くエルサレムにむけて旅立って行かれた、という噂が広まり、しかもその旅の途上でイエスは、死んだはずのラザロをよみがえらせるという、素晴らしい奇跡をも行なわれたのです。この方こそメシヤに違いない、という噂は噂を呼んで、
 「死人をさえ生かすこのお方は、一体誰であろうか」
 と、期待はいよいよ高まり、その人気はうなぎ登りに登って行ったのでした。
 ついに、イエスがエルサレムに入城される朝がきました。すでに都についていた人々は、イエスがくるという噂を聞いて、我勝ちに都の門の外に殺到しました。一方、イエスにつき従って来た大勢の群衆もまた、歓呼の声を上げてイエスを迎えたのでした。
 イエスをかこんだ何万という群衆は ・・・ 映画では、そんな数のエキストラを動員することができませんから、せいぜい千人か二千人の群衆で終わっていますが、そのときはほんとうに何万という群衆であったろうと思われます ・・・
 「ダビデの子にホサナ。今我らを救え!」
 熱狂し、大歓声を上げ、しゅろの葉を打ち振ってイエスを迎えたのです。イスラエルの人々の思いは、まさに革命的でした。ローマの政府を打ち倒して、メシヤの王国をつくり、我々ユダヤ人が世界を征服するのだ、というような、軍事的、政治的メシヤ観であったのでございます。民衆が、しゅろの葉を振って迎えたということは、それを表わしているのです。
 当時よりさらに百年程前、マカベウスという人が、ギリシャの圧政に打ち勝って、ユダヤをギリシャから独立させた時期があったのです。そのとき人々は勝利のしるしとして、しゅろの葉を振って彼を迎えたという故事がありますので、しゅろの枝を手にして迎えるということは、当時の支配者であるローマの国に反抗して戦おうという、軍事革命のしるしなのです。
 さて、イエスに対する人々の興奮は、いやが上にも高まり、イエスが、エルサレムにつく前にエリコという町を通られたときには、もう大群衆であったと書かれています。ザアカイという人などは、背が低かったものですから、イエスを見るためには、木に登らねばなりませんでした。また、バルテマイという盲人の目をいやされという奇跡が行われたため、何千何万という人々が、先になり後になりして、イエスに従って行ったものと思います。

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 弟子たちの得意や思うべし。彼らは鼻を高くし「ついに我々の先生が、こんな素晴らしい歓迎を群衆から受けるようになった。ついに先生は、ユダヤの国の王となられる。やっと、そのときがきたのだ」と目を輝かせ、すっかり興奮して、イエスについて歩いて行ったのです。
 そのとき、イエスはおっしゃいました。
 「ろばの子を捜していらっしゃい」
 「先生、ろばじゃなくて、馬がよろしゅうございます。」
 「いや、ろばの子を連れてきなさい」                     連れてこられたろばの背に、弟子の誰かが衣を脱いでかけると、イエスは、堂々とではなく、横向きにちょこんとすわって、エルサレムの町にしずしずと入城されたのでした。
 これは、ゼカリヤ書に<戦いの王としてではなく、柔和な王として、ろばに乗って入る>と、すでに記されているとおりです。
 なぜ、そのようなことをされたか、と申しますと、興奮の極みに達した群衆というものは、言葉では抑えることができません。もし、反対のことをいおうものなら、石で打ち殺されかねない。それほど、人々の緊張と興奮は極度に達していましたので、イエスは「自分は軍馬にまたがって人城する王ではない。平和の君としてきたのだ」ということを、人々に見せるため、わざとろばに乗って、エルサレムに人城されたのでございます。
 もし、イエスがひとこと、
 「立て、イスラエルの救いの時は今だ、者共われに続け!」
 と叫ばれるとしたら、それこそ群衆は、ワァーッと立ち上り、暴徒と化して、ピラトの官邸になだれ込み、ローマの兵士たちを追い出し、ヘロデの官邸に火をつけるなど、革命の暴動が、そのとき起きたと思うのです。何十万という人々が、イエスのひとことを待っているのです。みんな極度に興奮して「立て!」との一言を待っているのです。
 長い長いローマの圧政の下で、その屈辱に耐えてきたイスラエルの人々は、それほどまでにイエスに期待していたのでした。
 かの昔、ダビデがイスラエルの王として世界を征覇したように、今、メシヤなるお方がおられるならば、再び世界を征服することができる。彼らはそう期待していたのです。その民衆たちに、イエスは態度でしめされたのです。彼はろばに乗って、しずしずと入城されたのでした。

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 そのイエスの姿を、非常な恐怖をもって見ている人たちがおりました。聖書には、そのときパリサイ人たちが、何を話し合ったかが記されてあります。(ヨハネ12。18〜19)
 もう、これは間違いなしに、イエスをメシヤとする革命が起きると、指導者たちは完全に思いました。
 日本でもそうですね、今から十数年前、あの安保事件のころ、どこの大学もみな封鎖されて、このままで行くと武力革命が起こり、日本は共産主義化するんじゃないか、と思われたほど、緊張が高まったときがありました。
 このときも、当時の指導者たちは、イエスがひとことアジテートすれば、絶対に革命が起きる、ということを知っていたのです。だから、彼らは非常に恐れました。すでに地位を持ち、名誉を持ち、政権を持っていた人々にとっては、イエスの言動は、ほんとうに恐怖の的だったのですね。あれだけの群衆がイエスについていては、もうどうすることもできない。<彼らはイエスを殺そうと願っていましたが、手だしをすることができなかった>と聖書は何遍も書いています。そして<それは群衆たちが、イエスをメシヤと信じていたからだ>とも書いてあります。
 しかし、民衆たちの極度の緊張と期待を前にして、イエスは何もおっしゃらなかったのです。他の福音書を続んで見るとわかるのですが、イエスは、わざと何もいわず、反対に「ああ、エルサレム、エルサレム」そういって、エルサレムのために、涙を流して泣いていらっしゃった、と書いてあります。
 熱狂していた群衆は、すっかり当てが外れてしまいました。
 イエスは何もいわぬまま、その晩、ベタニヤのマリヤのもとに帰って、休んでしまわれました。
 興奮しきっていたユダヤ人たちは、がっかりして、これは一体どうなっているのだろう、イエスはほんとうにメシヤなのだろうか、やる気があるのだろうか、ないのだろうか、どういうつもりなのだろう ・・・ 人々は、まさに裏切られた思いでした。
 民衆とはそういうものですね、あれほど興奮していた人々は、その晩、イエスが何もしないで身を退けられてしまったのを見ると、がっかりし、反対にイエスに対する非常な失望感が、彼らの間に拡がって行ったのです。興奮している民衆というものは、動き出したらどうにもならないものですが、一旦、彼らの期待が外れると、必ず憎しみに変るのです。

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 パリサイ人とサドカイ人、特にサドカイ人は、政治家、祭司でしたから、イエスを非常に恐れていました。なんとかして、イエスを失脚させたい、と思っていました。
 当時のユダヤは、ローマの属国でしたが、ローマの政府は寛大な政策をとり、総督と兵隊を遣わすだけで、政治そのものは、その国の指導者に任せていたのです。しかし、暴動が起きた場合はその責任をとらせました。ですから、指導者たちは、暴動の起きることが一番恐ろしかったので、なんとか隠密にイエスを殺してしまいたい、というのが願いだったのです。彼らは、熱狂する群衆を見て度を失っていたのですが、意外なことにイエスが人気を落したのを見て、ほっと胸をなでおろし「今だ、今がチャンスだ。今なんとかしてイエスを闇から闇へ葬ってしまわねば」と思ったのは、実に当然のことです。
 20節を見て下さい。ここに、数人のギリシャ人がいた、と書かれてあります。ユダヤの祭りに、どうしてギリシャ人がいたのでしょうか。(ヨハネ12。20〜21)
 ギリシャ人というのは、昔から実に放浪癖のある民族なのです。今、日本人が農協さんのように、ぞろぞろと旗を立てて海外へ旅行しますが、世界を観光旅行して歩いた最初の人種は、ギリシャ人です。観光旅行なんて、昔はできなかったんですよ。戦争に行くか、征服するか、商売するか、とにかく用もないのに、他所をちょろちょろ見て歩くなんて暇な民族は、いなかったのです。しかし、ギリシャ人はすでに世界を征服した経験がありますし、経済的にも力がありましたから、いわば、軍事的にはローマが征服していましたが、文化的にはギリシャが征服していた、というような時代だったのです。それで、エルサレムの祭りを見にきていた、ギリシャの観光団がここにいたというわけです。
 ギリシャ人というのは、面白いですね。彼らは真理のために、哲学から哲学へ、宗教から宗教へ、教師から教師へと、いつも何かを求めていた民族です。だから彼らは、すでにイエスの噂を聞いていました。そのイエスの凛然として、権威を恐れない姿勢を見て、彼らは非常に感動したのです。
 「このお方は、素晴らしい人だ。我らの師であるソクラテスと同じように素晴らしい。彼の風貌といい、言動といい、多くの人から聞く噂といい、このお方はこんな頑迷固陋なユダヤ教の世界においておくには、勿体ない。何とか我々の世界に連れて帰り、もっと広い世界に紹介しようではないか」
 ギリシャ人たちは、ピリポという弟子を通して、イエスに会見を申し込みました。なぜピリポかといいますと、ピリポとアンデレというのは、ギリシャの名前で、彼らははじめからその名を持っていました。″シモン″はユダヤの名前で″ペテロ″はギリシャ名です。″サウロ″はユダヤ名で、″パウロ″ほギリシャ名です。ですから、はじめからピリポ、アンデレと呼ばれていたこの兄弟は、当然ギリシャ語の文化に触れていた人たちです。ピリポは特にそうでした。

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 それでこの数人は、ピリポを呼び、大変尊敬して、
 「君よ、私をイエス様に紹介して下さらないか。あの方は実に非凡な方だ、是非ともお目にかかってお話がしたいのです」
 というので、ピリポはその話をイエスの所に持って行くのですが、一人では自信がなかったので、アンデレと一緒にイエスの所に行ったのでした。          さて、今日のメッセージは、ここからはじまるのです。今までは全部序論です。
 では、ヨハネ12章22節から25節までを、よく見て下さい。            この箇所くらい、正反対のことがひとつの言葉の中にいわれているところはありません。その第一は<人の子が栄光を受ける時が来た>という言葉です。その第二は<一粒の麦が死ななければ ・・・>とおっしゃった言葉です。
 イエスは、そのご在世の間に、世界のことをあまりおっしゃいませんでした。むしろ、ユダヤ人のことしかいわれませんでした。十字架上の死と復活により、救いのわざを終えて天に帰られるとき、はじめて、この福音を全世界に宣べ伝えよ、と命令されたのです。
 そのときから、世界大のスケールで、イエスの弟子たちの伝道ははじまったのです。だからイエスは、ユダヤのちっぽけな、日本でいうならば四国の半分くらいしかない小さいところで、その生涯を終えられたのです。広島県とどっかもう少しくらいしかない、世界から見るなら、まるで猫の額ほどの小さいユダヤでしか活動されなかったイエスに、今、世界への道が開かれようどしているのです。
 「先生、ギリシャの偉そうな人がきて、あなたのことをものすごく誉めていらっしゃいます。あなたに是非、お目にかかりたいといってきています」と言う弟子達に、普通だったら、相好を崩して、
 「そうか、私の噂がついに世界に広まったか、早くその人を連れてきなさい」
 そうおっしゃったかもしれない。しかしイエスは、
 <今や人の子が栄光を受ける時が来た>
 といわれたのです。今までイエスは何遍も<まだ私の時は来ていない>とおっしゃいましたが、はじめて<時が来た>といわれたのです。「人の子」というのは、ダニエル書7章の13節以下に書いててあります。<人の子が雲に乗ってやって来る。世界を支配するために>と。これがダニエルの預言です。なぜここで「人の子のような者」といったかといいますと、それまで、鷲の翼を持ったライオンとか、骨をくわえ爪をとぎすます熊とか、恐しい豹とか、そういう獣のことが書いてあるのです。それは、バビロンとか、ペルシャとか、ギリシャとか、ローマとかを、なんとも名状しがたい、恐ろしい獣で表わしているのです。そのあとで、人間のようなお方がくる、といっているのですが、これはメシヤを指しているのです。

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 当時の古代国家というのは、ほんとうに恐ろしい国です。あらゆるものを飲み干し、食い尽してしまう、野獣のような国でした。冬のあとで、ほんとうの、人の心を持った、人の子のような方が世界を支配する、といって、メシヤの来臨をダニエルは預言したのです。
 以来、人の子のような者、というのは、人間ではなく、やがて来るメシヤ、救い主を指すことになったのです。
 だから、イエスが<入の子が栄光を受ける時が来た>といわれたことは、とりもなおさず「イエスが世界を征服するときがきた」という宣言であったわけです。
 それを間いた弟子たちは、目を輝かせ、
 「ついに、イエス様が立ち上がるときがきた。『私はメシヤである。それ、者共続け』といって、群衆を指揮し、ローマに反逆して立ち上がるどきがきた。
 彼らは目を皿のようにし、耳をそばだてて、イエスの命令を待ったのです。それなのに、次に続いたみ言葉はどうでしょうか、よく見て下さい。
 <ー粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を僧む者は、それを保って永遠の命に至るであろう>(ヨハネ12。24〜25)
 これは皆さん、何を指しているのでしょうか。そのときイエスは、はっきりと弟子たちに、ご自分の十字架のことをおっしゃったのです。それまでもイエスは、ピリポ。カイザリヤの途上などで、ご自分が十字架につくということを、二度も三度も弟子たちに予告なさいました。そして「私はやがてエルサレムに行く、こで宗教家や祭司たちに捕えられ、苦しみを受けて十字架につけられ、死ぬであろう。だが三日目によみがえって、あなた方のために、もう一度私はくる」と、話されていたのです。それにもかかわらず弟子たちは、イエスが民衆たちから熱狂的歓迎を受けるのを見ると、そんなことは全部忘れてしまって
 「今こそ、イエス様が王様になるのだ」と、大いに期待していたのです。
 しかし、イエスはこうおっしゃいました。
 <ー粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである>
 これはご自身のことをいわれているのです。一粒の麦が死ななければ、それはいつまで経っても一粒でしかない。だが地に落ちて死ぬなら、多くの実を結ぶことができる、とご自分が十字架について死ぬことを指しておられるのです。
 ギリシャ人というのは、先はども申し上げたように、非常に好奇心に富んでいて、何ごとにも興味津々。使徒行伝の17章を見ますと、彼らは毎日新しいことを聞くのを、楽し みにして生きていた、とございます。パウロを呼んできて、アレオパゴス評議所のまん中に立たせ、興味本位で彼の説教を聞いた、ということが書かれてあります。

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 ギリシャ人の文化、文明、ヘレニズムとはー体なんでしょうか。それは″自分が生きる道を追求する″ということなのです。ギリシャ人の一番大きな願いは、どうすれば自分が生きるか、どうすれば自分を表現できるか。どうすれば自分が立派になれるか、どうすれば自分が正しく清く生きられるか。自己を表現し、自己を生かすこと、それがギリシャの文化であり文明であり、芸術なのです。
 だからギリシャの彫刻は、男は筋骨たくましく、女はヴィーナスのように美しくなければなりませんでした。芸術も、哲学も、政治までもが、そうでした。アレキサンダーの願いは、自分たちの信ずるヘレニズムというものを、世界の隅々まで実現させることでした。だから歴史の中では、ギリシャだけが決して狂暴ではなかったのです。ダニエル書では豹にたとえられていましたが、それは、アレキサンダーが、ほんの十五年か二十年で、当時の世界をあっというまに支配してしまいましたから、ずばやい獣の豹で象徴されたわけです。しかし彼は、征服者ではあっても、決して無茶なことはしませんでした。植民地をつくり、ギリシャ人をそこに植民しました。その国の富を略奪したり、ひどい目に遭わせるようなことは、ギリシャ人はしなかったのです。
 アメリカは日本を占領して、何をしたでしょうか。日本にヒューマニズムやデモクラシーを植えつけることに、アメリカ人は非常な興味を持ちました。お陰で私たちは随分と助かりました。占領国の物を全部取り上げるのは、ソ連のやり方でしたけれど、アメリカは反対です。物資を送ってくれたり、アメリカの文化を日本に(悪いものもいっぱいありましたが)入れたのです。これがヘレニズムなのです。ギリシャ主義なのです。
 ギリシャ人というのは、あらゆる未開の民族に、ギリシャの文化と文明を実現させることに、喜びを感じた民族なのです。その意味では、彼らは素晴らしい民族だったわけです。ヘレニズムは、今日もヨーロッパの文化の中心です。しいていえば、日本にまでその影響は及んでいるのです。
 世界の文化は、キリスト教とヘレニズムが中心です。先ほども申しましたように、ギリシャ人の願いが、いかにして自己を生かすか、自己を誇るか、自己を表現するかということであるのに対し、イエスはなんといっているでしょうか。25節には<自分を愛する者 はそれを失うようになる>と書いてございます。自分を生かそう、生かそうとする者は、一番大事なものを失うようになるのです。イエスは、ご自身の命を捨てて多くの実を結ばせるために、間もなく十字架にかかられることを、ここでもいっておられるのです。

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 それからまた、次のように語られました,                   <もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたしに従って来るがよい>(ヨハネ12・26)
 ところで、(私は先週の祈祷会でもお話したのですが)、教会に、商売繁昌、無病息災、天下泰平と、そういうことだけ願ってくる人は、キリスト教がわかっていないのです。
 イエスは信者をつくるために、十字架にかかられたのではありません。信者という字を横に書くと儲けるという字になります。お金を儲けて、立派な家を建てて、商売が繁昌して、それでいいのだったら、教会はお門違いです。結果として神様は、どんな祝福でも与えてくれます。経済的にも物質的にも、どんなにでも祝福して下さるでしょう。なぜなら、イエスは私たち貧しい者を富ませるために、貧しくなって下さったお方だからです。教会で、クリスチャンになってから貧乏になった人はあまりいません。たいてい、教会へくるまでは大変でしたけれど、ほんとうに神様を信じ従った結果、経済的にも大いに祝福されています。でも、それが目的ではありません。イエスはどこにも″信者をつくる″などとはいっておられません。
 「あなた方は出て行って、すべての人に福音を宣べ伝えなさい。そして、人々を私の弟子にしなさい」
 こうおっしゃっておられるのです。
 弟子というのは、先生のいうとおりに従う者です。弟子は、先生に文句をいってはいけないのです。生徒は別です。生徒は「授業料を払っているのに・・・」なんて、文句を言うことができます。しかし、弟子は三年掃除だけさせられても、文句はいえないのです。弟子は、先生のするとおり、見て真似をするのです。″行け″といわれればどこへでも行きます。″せよ″といわれればなんでもやります。
 イエスが十字架を背負われる姿を見たら、自分も十字架を背負うのです。それが弟子です。あなた方は行って信者をつくれ、などと、どこに書いてあるでしょうか。
 「私と同じように生きる人をつくりなさい。私が十字架についたら、一緒に十字架につくことのできる人をつくりなさい」
 これが、イエスのメッセージなのです。
 「誰でも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って私に従って来なさい。私のために自分の財産も生命も捨てることができる者でなければ、弟子となることはできません。自分の生命を得ようと思う者はそれを失い、私のために自分の生命を捨てる者は、それを得るようになるでしょう」どの福音書にも、このことが二回ずつ書いてあります。ということは、イエスが二遍も三遍もこのメッセージをいわれたということです。ほんとうに、イエスのまわりには、弟子になれる人が多くはなかったようです。病気が治ったとか、足が立ったとかいって、わいわい大喜びする人たちは大勢いたのですが、イエスの形勢がいざ悪くなると、全部いなくなってしまいました。弟子ではなかったからです。ただのご利益信者だったからです。

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 愛する皆さん。我らの主イエスは「ついに私のときがきた。それは、十字架につくときがきたということだ」と、ここでいっておられるのです。一粒の麦がもし死ななければただ一粒。しかし、死ねば多くの実を結ぶ ・・・と。
 弟子たちは驚き、ある意味ではがっかりして、イエスにつまずいたのです。
 イエスの生涯は、はじめから十字架への道でした。ではイエスご自身は、十字架につくことを平気でおられたのでしょうか。いいえ、平気ではなかったのです。<今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい>(ヨハネ12・27)
 皆さん。本当のクリスチャンは、イエスを十字架につけて平気な顔をして、のほほんと生きてきた自分を、いつか必ず憎むようになります。お花見もいいでしょう。遊ぶことも悪いとはいいません。だが、私たちがほんとうにイエスの十字架を知ったら、私たちもまたイエス・キリストと一体になりたいという願いが、必ず心の中に起きてくるのです。そして人は変えられてゆきます。
 あの神の子イエス・キリストが「父よ、このときから私を救い出して下さい」といわれたのです。もし、イエスが平気で十字架を負われたのならば、私たちはむしろ、十字架の意味を疑わねばなりません。ほんとうの勇気というのは、恐れを感じないのではありません。死ぬほどの恐れを感じながらも、それに打ち勝つのが、真の勇気であります。
 イエスはやがて、ゲッセマネの園で血の汗を流して苦しまれます。自分が十字架につくことがどんなに恐ろしいことか、イエスは知っておられるからです。ギリシャ人がやっ てきたとき、即座にイエスはおっしゃいました。
 「おお、ついに私のときがきた。人の子がほんとうの意味で栄光を受けるときがきた」その栄光とは恐ろしい十字架の苦しみを通して受けられる栄光のことでありました。
 日本人は″勝てば官軍″といいますね。″負ければ賊軍″です。勝たなければ駄目なのです。いつでもそう習わされてきました。力のある者が正義なのです。人々がびっくりするようなビルディングを建てれば、少しぐらい悪いことをしても平気です。有無をいわせないで当選すれば、少しぐらいの選挙違反は大目に見てもらえます。捕まったところで大したことはないのです。本人までは行きません。まさに勝てば官軍です。金を儲けた者だけが、商売にに成功した者だけが、見えるところで素晴らしいことをした者だけが、この世の中では正義です。
 しかし、イエスは今、最も悲惨な、最も屈辱的な十字架への道を歩んでおられるのです。

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 つばきされ、むち打たれ、いばらの冠をかぶせられ、十字架を背負わされて、死刑場となるべきゴルゴダの丘を目指して歩んでおられるのです。
 どうか皆さん。この受難週に本当の十字架の意味を学んで下さい。ここで、もしイエスが「ときはきた。皆私に従ってこい。ピラトの官邸を襲うのだ」と、ひとことでもいわれたら、たとえ何千というローマの兵隊がいてもどうすることもできないほどの、群衆を動かすことができたのです。しかし、それはほんとうのメシヤの道ではありません。かつては、キリスト教でさえも随分と間違ったことをしてきました。この世の文化や、科学や、富を背景にして伝道しても、人を救うことはできないのです。人が救われるのは力ではないのです。お金ではないのです。我慢でもありません。立派な会堂なんていうのは、教会が堕落したのち、できたものなのです。使徒行伝時代には会堂はなかったのです。私も、会堂を建てましたが、そんなものは決して、目標、目的ではありません。バラックでも、天幕でも結構です。無くてもよいのです。
 だがもし、私たちが人のために命を捨てよう、愛のためなら死んでもいい、と命がけで当るなら、そういうものは、おまけで神様が必ず与えて下さるのです。
 儲けることや、商売することが、人生の目的ではありません。私たちが、イエス・キリストの福音を体得して、それに生きるならば、神様は必ず祝福して下さいます。恵みを与えて下さいます。イエス。キリストを信じて従う者に、恥を負わせることは絶対にありません。
 愛する兄弟姉妹、受難週の第一日にあたり、どうか私たちの主イエスのみ声を聞いて頂きたい。
 <今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです>(ヨハネ12・27)
 今私は心が騒ぐ、といわれたイエスは、しかしご自身がこの世にこられたのは、まさにこのためであったことを思い、ここで「私は十字架にかかるために、今まで生きてきたのです」と仰せられたのです。そして28節では「父よ、み名があがめられますように」とのイエスの祈りにこたえて、天から声がありました。<わたしはすでに栄光をあらわした。そして、更にそれをあらわすであろう>(ヨハネ28)と。
 最後に、32節、33節を読んで終りにいたします。この箇所は、明らかに十字架を指しているのです。
 <『そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう』イエスはこう言って、自分がどんな死に方で死のうとしていたかを、お示しになったのである>(ヨハネ12・32〜33)

第一章(了)

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