献金について(その7)

-生きるための希望の集会-

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献金について(その7) -生きるための希望の集会-

1977年(昭52)の日記を調べる用件があって開いたのち,11月10日の頁を見た。「家族会議。教会を美しく出ること,決定」とある。14日(月)「家族総動員で引越,完了」とも。教会と教団にも引責辞任の書を書いた。

今から考えると,教会の皆さんに随分ご迷惑をおかけしたと思うが,当時としては自分の指導性の欠如から教会が分裂しはじめたので,自分は死んでも教会を殺してはいけないという思いで,自分について出る人が一人もおこらぬようにと,いちばん悪い卑怯で無責任で,かっこうの悪い出方をしたわけだ。

戸坂の百田団地に家を借りたが(CLCのK店長紹介),実施の前日にピアノの持ち込み(娘達の私物)と集会はお断りと言って断られた。当時,全家族の有り金が20万円だったので困ったなと思っていたら,長女のヒントで出汐町の喫茶店の2階が空いていることを知り頼みに行った。T氏社員寮で生活用品一切と電話付を無料で提供して頂いた。おかげで私物の食器・布団まで残してくることができた。市場へ通う車まで使わせて頂いた。

「前教会員は受け入れない」と公言していたので,集会には来られなかったが多くのお見舞いを頂いた。「私はカラス(エリヤの養った)になる」と言って下さった方さえいて感激した。生活はできていたので,献金等は一切手をつけず,やがてできていった「生きるための希望の集会」にささげることができた(この看板で故F兄入信)。